

節句人形と供物
「桃の節句」や「端午の節句」をはじめ日本の節句には季節の食べ物が大変多く用いれられます。
これは季節の作物や自然に感謝する日本ならではの自然崇拝とともに神様に捧げる直来(なおらい) の意味があります。直来とは祭や神事の時に神様に捧げた供物や神饌(しんせん)をいただく行いです。 神饌(しんせん)とは御神酒(おみき)や御饌(みけ)などのお供え物のことを言います。
供物を家族で飲食(供飲供食儀礼)をすることで神様とのむすび付きを強くし、神力をわけて頂き加護してもらうとともに、身体を清めるという意味あいもあります。ですのでお節句の時にお供えする菱餅や柏餅などは神様に捧げる神饌(しんせん)なので三宝や高杯(たかつき)など高い脚の付いた器にお供えする事がよいでしょう。

菱餅
菱餅も、雛祭りにおける伝統的な行事食のひとつ。蓬(よもぎ)を入れた緑、菱の実(ひしのみ)を入れた白、そしてくちなしを入れた桃色の3色が重なったひし形のお餅です。 それぞれの色から自然が連想され、菱餅を食べることで自然のエネルギーを取り込めるという意味合いがあります。白は清浄・雪の大地(大地のエネルギー)の中から、緑は健康や長寿・木々の新緑が芽吹き(植 物のエネルギー)やがて赤と桃色は魔除け・お花が咲く(生命のエネルギー)をあらわします。 又菱型は菱の実の形状から由来し、西方(インド)の逸話で川で暴れる龍を鎮める生贄(いけにえ)に子供を毎年ささげていましたが、子供が不憫なので代わりに菱の実を川に投じたとき龍が毎年、菱の実で良いとしたことからこの逸話がシルクロードをたどり日本に伝播し菱は霊力がある縁起の良い形として日本でも重用されました。食べ物の菱餅だけではなくお雛様の衣装などには菱柄をモチーフにした図柄が大変多いことに気づかされます。このよう菱のかたち一つにも子供を守る思いが込められているのです。

全国的にはちらし寿司
雛祭りの食卓を彩る代表的な料理といえば、彩り豊かな「ちらし寿司」です。
様々な具材を盛り付けたちらし寿司は、見た目も華やかで、お祝いの席にふさわしい一品です。
具材には、エビやイクラなど縁起の良いものが使われることが多く、
子供たちの健やかな成長と幸せを願う気持ちが込められています。
地域によっては、ちらし寿司の代わりに、手巻き寿司やいなり寿司などが食べられることもあります。

ひなあられ
菱餅と同様にカラフルで、春らしい色合いが雛祭りの雰囲気にぴったりなひなあられ。江戸時代頃には雛人形 を屋外に持ち出して外の景色を見せてあげる「雛の国見せ」と呼ばれる風習があり、その際にひなあられを持参したとされています。
ひなあられには、「赤・緑・白」の3色のものと、「赤・緑・白・黄」の4色のものとがあります。それぞれの色には意味があり、願いが込められていると言われています。
赤は血や命など、生命のエネルギーを意味しています。緑は木々の芽吹き、自然の生命力やエネルギーをイメージしており、白は雪の大地のパワフルなエネルギーを表しているのだそう。
4色のひなあられは、それぞれ「春・夏・秋・冬」を表し、四季のエネルギーを取り込んで、1年を通じて健康と幸せを願うという意味合いがあります。
ちなみに、ひなあられは関東と関西とで形や味付けが異なります。関東のタイプは米粒状で甘い味、関西では丸い粒状でしょうゆ味や塩味であるケースが一般的です。

蛤(はまぐり)のお吸い物
はまぐりのお吸い物は、雛祭りに不可欠なお吸い物です。
これは、はまぐりのある特徴に由来します。はまぐりは、1対2枚の貝殼を持つ"二枚貝"ですので、ペアの貝はぴったりと合うが、それ以外の2枚の貝が合うことは絶対にないため、平安時代には"貝合わせ"と呼ばれる対の貝殼を見つけるゲームにも使われていました。このようなはまぐりの特徴から、仲の良い夫婦を表すものとされていた。また、二枚貝は姫様を表すという考えもあった。このことから、はまぐりは一人の相手と永遠に仲良く過ごすという女性の幸せを象徴するものとされ、縁起物として扱われてきました。女性の幸せを象徴する食材であるはまぐりを使った料理ということで、はまぐりのお吸い物が行事食として定着しました。
その他の地域は
どんなものを食べるのか
祭りには、地域ごとに特色のある食べ物が存在します。これらの食べ物には、その土地の風土や歴史、人々の願いが込められています。
桃の節句の各地の食べ物

愛知県・おこしもの
名古屋市内中心に「おしもん」又は「おこしもん」と呼ばれる雛菓子があります、米粉を熱湯で練って型にはめた郷土菓子です。雛祭りで食べられる料理といえば、「雛あられ」や「菱餅」、「ちらしずし」などがありますが、愛知県ではこれらに加え、「おしもん」をつくる風習があります。「おしもん」の由来については諸説あり、型に押してつくる押し物(おしもの)から派生して呼ばれるようになったといわれたという説や、型から起こし外すことから「おこしもん」とも呼ばれたという説もあります。名古屋地域では「おしもん」、周辺地域で「おこしもん」と呼ばれることが多いようです。木型は、桜や桃、梅、菊などの花の形をしたものに加え、タイやおしどり、蝶々などの生き物、のしや宝船、巾着袋、福助などといった縁起物のモチーフなどがあります。

岐阜県・からすみ
江戸末期ごろ、東濃地域で桃の節句に作られるようになったと伝えられている「からすみ」。「からすみ」といえばボラなどの卵巣を塩漬けにし、乾燥させた珍味が有名ですが、こちらは練った米粉を蒸した和菓子。特徴は、切った断面が山型になる形状です。山の頂上が2つあるのが一般的ですが、まれに3つのものもあります。山の形になったのは、わが子が「日本一幸せになれるように」との願いが込められ、富士山を模した形になったと言われています。名称の由来は諸説あり、高級珍味の「からすみ」は、海から遠いこの地域では貴重であったため、それに形が似たお菓子で代替したことからこの名が付いたという説と、中国・唐時代の文鎮とすずりを兼ねた墨(道具は一般に「唐墨(からすみ)」と呼ばれていた)に形状が似ていることからという説とがあります。

京都・金平糖
京都府の雛祭りでは、色とりどりの「金平糖」がよく食べられます。可愛らしい星形の金平糖は、見た目も華やかで、子供たちにも人気があります。古くから京都で親しまれてきた金平糖は、お祝いの甘味として、雛祭りの食卓を彩ります。また、金平糖の優しい甘さは、春の訪れを祝う気持ちを表しているとも言えるでしょう。

愛知三河・いがまんじゅう
愛知県の西三河地域では、桃の節句に「いがまんじゅう」を食 べる習わしがあります。「いがまんじゅう」は、粒あんもしくはこしあんを、米粉で包み、表面に着色したもち米をつけた菓子で、愛知県以外にも京都や九州にも「いがまんじゅう」がありますが、雛祭りの行事食として食べるのは西三河地域独特の風習です。「いがまんじゅう」の名の由来としては諸説あり、表面につけるもち米が栗の“いが”に似ているというもの、家康の“伊賀越え”からきたというもの、まんじゅうを蒸す時の“香り(飯の香:いいのか)”からきているという説などがあります。岡崎市で食べられる「いがまんじゅう」は、ピンク・黄色・緑でつくられる。ピンクは桃の花、黄色は菜の花、緑色は新芽を意味するほかに、ピンク(赤)は魔除、黄色は豊作祈願、緑色は生命力を意味するという説もあります。このあざやかさが雛菓子として定着したゆえんではないかといわれています。

岩手・ひなまんじゅう
岩手で「ひなまんじゅう」は「はなまんじゅう」「花だんご」などとも呼ばれ、米粉でこねてあんを入れたまんじゅうを花、桃、木の葉、うさぎなどの形にしたものです。3月3日の桃の節句には「きりせんしょ」と共に供える。また地域によっては法事や彼岸の時にも供えられます。花巻市大迫町はかつて三陸と盛岡を結ぶ街道の宿場町として栄え、江戸時代から代々受け継がれた貴重なひな人形が数多く残されている。そして桃の節句には、子供達が「おひなさん、おみせってくなんせ」と言いながら家々のひな人形を見て歩き、「ひなまんじゅう」をもらうのが風習となっていました。当時は子供や親戚に配るため、各家庭でひなまんじゅうを数多く作っていました。

佐賀・ふつもち
稲作が盛んな佐賀県では、うるち米だけでなくもち米の栽培も広く行われており、全国でも有数の生産量を誇ります。そのため、もち米を使った郷土食も多数あり、「ふつ餅」もそのひとつ。「ふつ餅」はいわゆる「よもぎ餅」のことで、“ふつ”とはよもぎを指します。春、ソーケと呼ばれる取っ手のないカゴを持って、田んぼのまわりや道際に生えるふつを摘んで各家庭で作っていました。また、3月3日の「桃の節句」では全国的に菱餅を供えることが多いが、佐賀ではこの「ふつ餅」を供えているようです。
端午の節句の食べ物

柏餅
端午の節句で柏餅を食べるその理由は、お餅をくるんでいる『柏(かしわ)』の葉にあります。 柏は、新芽が育つまでは古い葉が落ちないことから、子孫繁栄、家系が絶えないなど特に武家を中心に縁起物として広がりました。 江戸時代の武士の家ほどではなくても、男の子の健やかな成長を祈るという意味では同じ気持ちで、柏餅を食べる風習が残っていますね。中部地方より東では町のお菓子屋さんやスーパーなどで端午の節句の一般的な供物として全国的に食べられています。

ちまき
こどもの日に食べるものの代表にちまきがあります。しかし、必ずしも全国で同じように食べられているわけではなく、地域によって違いがあります。ちまきを食べるのは関西と中部を中心とした地域で、関東では『かしわ餅』が一般的です。 ちまきは、平安時代に中国から伝わってきたものといわれています。本来は、邪気を払うと考えられている『茅(ちがや)』という葉を使っていましたが、各地に広まる中で、笹の葉が使われるようになっていきました。 包まれている中身もさまざまです。もち米を包んだものはもちろん、あんこ入りの餅や、葛餅を包んでいるちまきもあります。ちまきには、子どもの健やかな成長を祈る気持ちと、魔除けの意味が込められています。 ちまきを包む茅も笹の葉も、香りが強く感じられます。香りには邪気を払う働きがあると信じられていたため、ちまきは厄除けのための食べ物でもあったのです。
端午の節句各地の食べ物

愛知県・きいはん
端午の節句の料理といえば、「ちまき」や「柏餅」が代表的であるが、愛知県ではこれらに加え、「黄いないおこわ」を食べる習いがあります。呼び方のほかに、「きいはん」「きめし」とも呼ばれます。端午の節句では、男子の健やかな成長、無病息災を祈って、さまざまな願掛け、邪気払いをおこな います。たとえば、鯉のぼりは、急流をさかのぼり、竜門という滝を登ると竜になるという言い伝えから、立身出世を願うために飾られ、鎧兜も体を守るという意味合いがあります。また菖蒲も端午の節句に欠かせないものです、これも葉の形が剣先に似ているので魔を切り追い払うとされ、現在も菖蒲湯などに取り入れられています。同様に、「黄いないおこわ」も、黄色が邪気を払うとされ、またそえられる黒豆には健康祈願が込められています。

北海道・べこもち
北海道民に昔から親しまれてきた「べこ餅」は、主に白と黒の2色が配された木の葉形の模様が特徴的な郷土菓子です。北海道では端午の節句の際によく食べられています。青森県にも材料は同じだが、形や模様が異なる「べこ餅」という名の郷土菓子が存在します。白と黒の2色、木の葉形が「べこ餅」の定番ではあるが、いまでは道南地域を中心にさまざまな色やかたちの「べこ餅」があります。黒糖だけを黒単色の「べこ餅」や彩色された色あざやかな「べこ餅」、よもぎを混ぜた緑色の「べこ餅」など。かたちも木の葉形ではなく、花形、丸形などの「べこ餅」も存在します。

鹿児島・あくまき
「あくまき」は、主に端午の節句で食べられる鹿児島県独特の餅菓子で、“ちまき”と呼ぶこともあります。関ヶ原の戦いの際、薩摩の島津義弘が日持ちのする食糧として持参したのがはじまりだという説があります。保存性が高 いことと、その腹持ちの良さから、薩摩にとって長く戦陣食として活用され、かの西郷隆盛も西南戦争で食べていたといわれています。こうした背景から、男子が強くたくましく育つようにという願いを込めて、端午の節句に食べられるようになったといわれています。「あくまき」は、もち米を木や竹を燃やした灰からとった灰汁(あく)に浸した後、そのもち米を孟宗竹(もうそうちく)の皮で包んで、灰汁水で数時間煮込んでつくられます。

長野・ほうば巻き
「ほう葉巻き」は、米の粉に熱湯を入れてよくこね、中にあんを入れて、ほうの葉で包んで蒸したものです、木曽地域に伝わる伝統的な祝い餅です。木曽地域では端午の節句は、ひと月遅れの6月5日におこなわれる。その前後に「ほう葉巻き」がつくられます。端午の節句といえば柏餅ですが、標高が高い木曽地域には柏の木がなく、代わりに、朴の葉を使うようになりました。町中のあちこちの店でも「ほう葉巻き」がたくさん並び、木曽地域独自の初夏の風物詩となっています。ほう葉巻きの由来は、平安末期に信濃源氏の一族だった木曽義仲の時代に、戦に出る際に朴の葉を利用して味噌や米を包んだのが始まりだといわれています。

兵庫・いびつもち
真ん中に餡を入れた餅をサルトリイバラの葉で包んだもので、全国的には「かしわ餅」の名で知られています。「ハレの日」の行事食に欠かせないものであり、端午の節句の時 期になると作られてきました。兵庫県内では柏の葉があまり自生していなかったため、サルトリイバラの葉で代用されました。「いびつもち」の名の由来は、(サルトリイバラの)葉の形がいびつだからと言われている。淡路では「いびつもち」と呼ばれますが、神戸・丹波では「柏餅」、北播磨では「ひょっとで」、西播磨では「ばたこ」と地域によって名称が異なっています。

福岡・がめの葉饅頭
端午の節句の時期になるとつくり、子どものおやつとしても親しまれています。福岡県にはかしわの葉が自生していないため、その代替品としてがめ(サンキラ)の葉でつくったものが根づいています。「がめの葉饅頭」の”がめ”とは福岡県北部では亀とかスッポンを「がめ」と呼び、その甲羅にそっくりな葉っぱであることから「がめの葉」と呼んでいます。がめの葉で包むからその名がついたものと思われ、別名「さんきらまんじゅう」とも呼ばれている。がめの葉は、つるに生じる棘とひげ根、そして丸い葉っぱを持ち、それらが猿すらも引っかかるのでサルトリイバラとも呼ばれています。

暮石人形(くれいしにんぎょう)は、名古屋の地で100年以上にわたり、節句人形の専門店として皆さまに支えられてきました。
これからも「お節句」の伝統文化を大切に受け継ぎ、発信していき たいと考えております。
このページの情報が、皆さまの「お節句」をより楽しく有意義なものにし、お子さまの笑顔あふれる未来へのきっかけとなれば幸いです。
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